浜西太鼓台


作品名 浜西太鼓台 完成年 平成15年
金糸の種類 本金糸 布団締めについて 巻尾、跳尾
飾り幕の名称
上幕
三顧の礼(劉備玄徳の礼)
桃園の誓い(劉備玄徳の仁)
長坂坡の戦い(智謀の将 趙雲子龍)
出師之表(互いの信 諸葛亮孔明)
飾り幕の名称
高欄幕
千里独走(関羽雲長の義)
美人の計(貂蝉の義)
銅雀台(曹操孟徳)
赤壁の戦い(龐統士元の智)
中幕の有無 有り 重の段数 8段
太鼓のメーカー 太鼓正 太鼓の大きさ 2尺3寸

作品への想い

浜西太鼓台を新調するにあたって、20名以上の新調委員会、自治会の熱い想いに深く感銘いたしました。
当社が制作した新居浜型太鼓台を見て、数ある会社の中から当社を選んで頂いたとお聞きし、今までに当社が製作した新居浜型太鼓台に負けない、もしくはそれ以上のものを作って欲しいという要請を受け、その想いに応えるべく、最高級の素材をふんだんに使用した他に類を見ない独創的な太鼓台を製作することにしました。

前年に新調した田之上太鼓台と同時進行で製作した太鼓台で、半分が国内での製作、半分が中国での製作です。1990年代後半から中国での飾り幕製作を開始しましたが、浜西太鼓台はその当時の最高技術がいかんなく発揮された作品であると共に、プロとして初めて独自の下絵を描き、それを立体として表現した初の太鼓台ですので、非常に想い出深い作品であります。

こだわり

当時は、中国で仕事をするようになって、中国文化の奥の深さが少しずつわかり始め、そこから影響を受け始めていた時でもあり、「プロとして初の独自の下絵を描くのであれば、挑戦するテーマはやはりこれしかない」という思いで、『三国志演義』の物語を用いました。
また、「なぜ太鼓台は金一色で仕上げるのだろう、太鼓台を金一色で仕上げる必要はないのではないか」という考えから、色糸を多く使用しました。
布団締めは「喜怒哀楽」をテーマに、4面を全く違う形で表現し、上幕、高欄幕においては、『三国志演義』の題材の中から「仁・義・礼・智・忠・信・考・悌」という八つのテーマを8枚の幕の中に盛り込みました。「人を慈しみ、思いやり、人間の行うべき筋道から外れず、敬意を表し、物事を理解し、是非・善悪を分別する心を持ち、そして人を欺かない」という思いを込めています。乳の部分はそれぞれの幕の場面に出てくる登場人物の名前を刺繍しています。

布団締めについて

4面を全く違う形で表現するという初の試みに挑戦し、「喜怒哀楽」をテーマに独特の表現を行いました。
布団締め8枚全てが違う動きをし、また龍の表情の違いで喜怒哀楽を表現しております。
龍の鱗には新居浜型には珍しい色糸による刺繍をほどこしており、すべて当社が得意とする刺し鱗になっております。

上幕

三顧の礼(劉備玄徳の礼)

劉備の軍師であった徐庶や司馬徽から推挙された諸葛亮孔明を軍師として迎えるため、臥龍岡の草庵を三度に渡り訪ねる場面です。
臥龍庵のイメージを中心に作品を構成しています。このような草葺屋根の建物の表現は、太鼓台では初めてです。

桃園の誓い(劉備玄徳の仁)

「劉備、関羽、張飛は姓を異にするとはいえども義兄弟の契りを結んだからには一致協力、漢王室を授け民を安んぜんとす。同年同月同日に生まれざりしといえども同年同月同日に死せん。この誓いに背く者あらば天も人もこれを誅滅するであろう」と誓い、劉備を長兄、関羽を次兄、張飛を弟とした場面です。
劉備の人徳を表現しています。

長坂坡の戦い(智謀の将 趙雲子龍)

曹操軍に追われていた劉備一行が当陽春県北東の長坂坡(ちょうはんは)にさしかかる頃、趙雲は劉備の家族を探し求めていました。やがて甘夫人を発見した後、糜夫人と劉備の息子阿斗を見つけましたが深手を負ってしまいます。糜夫人は
「もはやこれまで。この子の命将軍にお任せします」と言うなり古井戸に身を躍らせてしまいます。
やむなく趙雲は鎧の紐をほどき、阿斗を懐中にしっかりと抱えると、馬に跨り、全速力で駆け抜けました。趙雲が阿斗を懐に抱えたまま、曹操の軍勢と戦い、縦横に暴れまわっている場面です。

ここでは鎧をどこまで細かく表現できるかという事に重きを置きました。

出師之表(互いの信 諸葛亮孔明)

先帝創業未半而中道崩殂・・・で始まり約640字で書かれたこの諸葛亮が劉禅に宛てた上奏文は、古来「出師の表を読みて泣かざる者は忠臣にあらず」と言われた名文です。
その感動的なシーンを背面上幕に配置し、通り過ぎてゆく太鼓台を見送ったとき、その人々の心にこの孔明の姿が残ってもらえば幸いと思い制作しました。
その出師之表を劉禅の側から捉えた時、孝行の本質は人間形成と自立にあるように感じ、その想いを込めました。なお背景の黒字は岳飛(南宋の武将1103~1141)の書による出師之表を刺繍したものです。

机の変則的な立体を表現しています。

高欄幕

千里独走(関羽雲長の義)

三国志演義で関羽の見せ場のひとつである「五関に六将を斬る」の場面で、赤兎馬(せきとば)に跨り、青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)で曹操から引出物として贈られた錦の直垂を受け取る様子を描いています。
ちなみに「五関に六将」とは東嶺関の孔秀、洛陽の関の韓福と孟坦、沂水関の下喜、榮陽太守の王植、黄河の渡しの関の秦淇を指しています。

直垂のしなやかなでふんわりとした感じを表現しています。

美人の計(貂蝉の義)

貂蝉の育ての親である王允が董卓(とうたく)と呂布(りょふ)の主従関係を引き裂くために行った美人連環の計。
貂蝉(ちょうせん)を中心にし、その貂蝉を取り合う董卓と呂布を獅子に見立てています。貂蝉が董卓(左の獅子)と呂布(右の獅子)を誘惑し操る場面です。
ここでは牡丹の花と葉の刺繍の表現を追求しました。そして貂蝉の顔の向きにご注目下さい。戦乱の世で男の策略の道具として扱われた貂蝉。その貂蝉の心の中の秘めた想いは、すぐ横の高欄幕にいる関羽に向けられています。

銅雀台(曹操孟徳)

建安15年(210年)春、曹操は鄴群に銅雀台を建立。漳河に面しており、中央が銅雀台で左側が玉龍台、右側が金鳳台です。
高さ10丈、橋で繋がっており、千門万戸は金と碧で交互に塗られていたとされ、文献などから想像して下絵を描き上げました。
中国蘇州の卓越した刺繍技術があっての表現です。

赤壁の戦い(龐統士元の智)

呉蜀同盟軍と曹操軍との大戦であった赤壁の戦いの一場面。鳳雛こと龐統(ほうとう)が曹操に「軍船を鉄の環で繋ぎ合せ、上に板を敷き詰めればどんな波風にも恐れるに足りますまい」と教え、それを実行した魯粛、周瑜と計った連環の計です。
『三国志演義』最大の合戦場面である赤壁の戦いを一枚絵にまとめるには極めて難題でしたが、龐統を鳳凰に見立て、尾を鎖にしてこの場面の話の内容をイメージ化しています。