中筋太鼓台

 
作品名 中筋太鼓台 完成年 平成28年
金糸の種類 本金糸 布団締めについて 巻尾
飾り幕の名称 上幕 宇治橋と五十鈴川伊勢神宮 内宮 御饌殿と神楽殿諌鼓鶏伊勢神宮 高欄幕 上仙法師と天狗大蔵院深谷寺祖母御前内宮天照皇大神宮
中幕の有無 重の段数 9段
太鼓のメーカー 浅野太鼓 太鼓の大きさ 2尺3寸

作品への想い

幼少の頃、私の生まれ育った地区に太鼓台はなく、当時の私が最も慣れ親しんだ太鼓台は、母親の出里である中筋地区の太鼓台でした。山下縫い師が制作した布団締めの目を見て、非常に迫力があり怖かったという記憶が今も鮮明に残っており、中筋太鼓台の圧倒的な存在感、威圧感の虜になりました。
小学生の時に、地元に子供太鼓台が出来るということで、その製作過程を淡路島の梶内縫い師の工房で見たことが、私が縫箔師を志したきっかけですが、日々研鑽を重ねていた高校時代のある日、中筋太鼓台が梶内縫い師の手で新調されると聞きました。私は無理を言って淡路島に連れて行ってもらい、製作過程をつぶさに見学して、幕作りに対する造詣を深めました。そのように、私は中筋太鼓台に育てられたといっても過言ではありません。それに加えて、中筋太鼓台は市内でも屈指の歴史を持つ名門太鼓台です。その中筋太鼓台の新調依頼を頂き、大変名誉に思いましたし、前述の通り、中筋町は私の第二の故郷とも言える場所ですので、格別な心情を持って製作に心血を注ぎ込みました。
この中筋太鼓台のテーマは『平安』です。

こだわり

中筋太鼓台には百数十年以上に亘る歴史があります。このように華々しい歴史を持ち、新居浜市の太鼓台の中でも屈指の名門である中筋太鼓台の製作にあたって、「なぜ中筋というのか」、「中筋の歴史はいつからはじまったのか」という素朴な疑問を持ちました。そこでまず、氏神である内宮神社の宮司様を訪問し、そこで見聞したことを基に、地域の史跡はもちろん、伊勢神宮にも実際に足を運ぶことで着想を得て、自分なりの仮説を立てました。
そのようなこだわりを持ちながらも、歴史ある中筋太鼓台の伝統を重んじ、伝統の踏襲と最新の技法を融合させることにこだわった作品です。

布団締めについて

中筋太鼓台の伝統を踏襲し、『金一色』で製作しました。
『目ヂカラ』を意識し、怖さの表現にこだわりました。
鱗は、先に平刺繍を縫い合わせ、その上に平金糸を掛けていく二重刺繍手法を用いました。

上幕

宇治橋と五十鈴川

伊勢神宮内宮の参道口にある宇治橋と五十鈴川の風景です。
遠近法と陰影を付けた製作手法により、空間を最大限に活かす工夫をしています。
また、五十鈴川にちなみ、川には鈴を配置し、中には本物の鈴を入れています。幕が揺れる度に鈴の音が鳴り、川のせせらぎを鈴の音で表現しています。

伊勢神宮 内宮 御饌殿と神楽殿

伊勢神宮 内宮の御饌殿と神楽殿です。
御饌殿の左下に川の流れを表現し、五十鈴川との繋がりを示しています。

諌鼓鶏

中国の史記より、古代中国において、政治に不満がある時は諌鼓(かんこ)という太鼓を鳴らして知らせるようになっていたが、善政が施されていたために、太鼓は全く鳴らず、その場所は鳥の遊び場になったという逸話を基に、『平安』を表現しています。
鳥は伊勢神宮の眷属-けんぞく-(神使い)である鶏です。

伊勢神宮

伊勢神宮内宮の御正殿と、ご神木に巻きつく龍を配し「日本国」を表現しました。
その前には二見興玉神社の夫婦岩と、その祭神サルタヒコノカミの眷属(神使い) である「カエル」を表現しています。

高欄幕

上仙法師と天狗

高欄幕は、上仙法師の生まれ変わりが嵯峨天皇、祖母御前の生まれ変わりが檀林皇后であるという伝説を基にしています。
天狗と上仙法師の闘争を中心に、上仙法師が開祖といわれる山岳修行と、その鍛錬の場である 笹ヶ峰、石鎚山を描きました。
構図は中筋太鼓台の伝統である『石橋』を踏襲し、笹ヶ峰という事で右手には笹を持っています。

大蔵院深谷寺

嵯峨天皇の后であった檀林皇后の菩提を弔う為に建立されたお寺です。
瓦は一枚一枚を別々に縫い、それを組み合わせていきました。
上品な御殿幕でありながら、存在感を醸し出す工夫をしています。

祖母御前

この祖母御前は上仙法師とは違い、平刺繍および金コマ刺繍で縫った物を造形物に縫い合わせていく手法をとり、 人物の幕に変化をつけています。後姿と鏡、そして十二単で平安時代の雅な雰囲気を醸し出すようにしました。
国領川にかかる生子橋(しょうじばし)も描きました。
鏡に映る祖母御前の顔は、超極細の糸を使用しており、このように絵のような繊細な刺繍は蘇州の刺繍技術あってのものです。

内宮天照皇大神宮

角野の氏神である内宮天照皇大神宮(内宮神社)は、伊勢神宮の内宮から勧請して創建されたと言われています。

その他のこだわり